マリメッコのカーテン
マリメッコの生地
マリメッコのバッグ
バッグにはどういったものがあるのでしょうか。
マリメッコのバッグは、ショルダーバッグやトートバッグ、ポーチなどが販売されています。
マイヤ・イソラによるポピュラーなあのデザイン、「UNIKKO」はもちろん、他にも色々なデザインのバッグがあります。
「Granetti」などの石をモチーフに作られたデザインのバッグも素敵ですね。
うーん、それにしてもフィンランド語、難しいですね。
説明がなければなかなかわかりづらいところです。
よくマリメッコのバッグをみていると見かける「OLKALAUKKU」は「オルカラウック」と読み、ショルダーバッグという意味を持ちます。
そして最もポピュラーでもある「UNIKKO」は「ウニッコ」と読みます。
また、上にも書いた「Granetti」は、「御影石」という意味を持っているようです。
とまぁこのように意味は知らなくても、マリメッコには面白い、そして素敵なデザインがたくさんあり、機能性も申し分ないのでぜひマリメッコのバッグを1度手に取ってみてはいかがでしょうか。
マリメッコのバッグ
色使いとデザインに定評のあるマリメッコ。 バッグにはどういったものがあるのでしょうか。
マリメッコのバッグは、ショルダーバッグやトートバッグ、ポーチなどが販売されています。
マイヤ・イソラによるポピュラーなあのデザイン、「UNIKKO」はもちろん、他にも色々なデザインのバッグがあります。
「Granetti」などの石をモチーフに作られたデザインのバッグも素敵ですね。
うーん、それにしてもフィンランド語、難しいですね。
説明がなければなかなかわかりづらいところです。
よくマリメッコのバッグをみていると見かける「OLKALAUKKU」は「オルカラウック」と読み、ショルダーバッグという意味を持ちます。
そして最もポピュラーでもある「UNIKKO」は「ウニッコ」と読みます。
また、上にも書いた「Granetti」は、「御影石」という意味を持っているようです。
とまぁこのように意味は知らなくても、マリメッコには面白い、そして素敵なデザインがたくさんあり、機能性も申し分ないのでぜひマリメッコのバッグを1度手に取ってみてはいかがでしょうか。
マリメッコの2000年代
キルスティンが最高経営責任者となり、再建に向け歩み始めたマリメッコ。
果たして2000年代、どのような変化を見せていくのでしょうか。
キルスティンが経営を仕切るようになってから、新しいデザイナーが次々起用されていくようになりました。
そして、ファッション、インテリアデコレーション、バッグなどといったものがプロダクトラインのベースになり、幅広い品揃えで展開をしています。
新旧のデザイナーによる自由な発想とデザインは、オリジナルなライフスタイルの提案をしています。
徐々に今あるマリメッコが形成されていったわけです。
2002年以降、マリメッコは創立時より活躍していたデザイナー、マイヤ・イソラのデザインを採用し、娘のクリスティーナがリメイクして発表するなど、デザイン業界に新しい風を送り込んでいます。
そして、次世代を担っていくであろう若手デザイナー、 ノラ・フレミングや タニヤ・オルスジョキ、 テレサ・ムーアハウス、サム・ユッシ・コスキを採用し、次々新しい風を業界に吹かすことになるのです。
キルスティンが経営を担うようになってから、少々の時間をかけながらもマリメッコの再建に成功することとなるのでした。
そして、次々と新風を吹かすマリメッコは、今日もまた、あの素晴らしい色使いとデザインを用いた商品を私たちのもとに届けてくれるのでした。
マリメッコの1990年代
厳しい時代を過ごすこととなったマリメッコの1980年代。
すっかり独自の色は煙の中に隠れ、先の光を求めてただただ歩くこととなった1990年代。
さて、経営に明るい兆しは見えてくるのでしょうか。
早速、1990年代を見てみましょう。
これまでの体制を引き継ぐ1990年。
どうやらまだ明るい兆しが見えてこないようです。
1990年代はデザインにおいて、不毛の時代を過ごすことになりそうなようです。
1991年の春、当時マリメッコを経営していたアメル・グループは、キルスティ・パーッカネンをマリメッコの最高経営責任者に抜擢しようとしました。
しかしそのマリメッコの経営状態をみたキルスティは、その要請を断ります。
そこでアメル・グループは、マリメッコをキルスティンの会社に売却する話を持ちかけます。
そこでようやくキルスティは、この話を受諾します。
この出来事から、マリメッコは新しい時代を迎えていくことになるわけです。
キルスティンは、愛国心からどうにかマリメッコの立直しを図りたいと考えます。
そこで大きく会社の体制を壊し、よりクリエイティブで市場をも意識した環境を作り上げていきます。
こうして、マリメッコは1990年代、明るい兆しを見ることとなったのです。
マリメッコの1980年代
1970年代末、マリメッコの創設者であり、精神でもあったアルミ・ラティアをなくしたマリメッコ社。
舵の取り方次第によっては社運が大きく変わってしまうこの年代をマリメッコ社はどう過ごしたのでしょうか。
ここでは、マリメッコの1980年代を紹介してみましょう。
経営的には充実していたともいえよう1970年代。
1980年代は、非常に大きな変化のある年代でした。
1980年代前半というのは、まだマリメッコの躍進は続いていました。
石本藤雄のマルチファセテッドファブリックのコレクションは大きな成功を残しました。
また、ペンッティ・リンタによる印象的な柄のワンピースやマルヤ・スナのデザインによる新たなニットウェアは多くの人気を得ていました。
しかし1985年、マリメッコ社はアメル・グループに買収されます。
このときから、会社は財政難に陥るようになります。
また、マリメッコの人気はどんどん失われ、特徴のないブランドとして社は厳しい時代を過ごしていくことになるわけでした。
マリメッコの1970年代
知名度と注目を多く浴び、ビジネスにおいては浮き沈みを経験することになったマリメッコの1960年代。
その危機を乗り越えたマリメッコは1970年代は、また多くの出来事が起こっていくわけでした。
そんな1970年代を次は紹介していきましょう。
1970年代に入ると、今までの斬新な色使いとデザインによる洋服たちに加え、新たな風が吹き込まれていくことになります。
デザイナーのペンッティ・リンタは、細かく繊細なパターンのシャツ、ワンピース、さらにはユニセックスなアイテムを手がけ、マリメッコから販売されていくようになりました。
1974年には、日本人のデザイナーの石本藤雄が入社し、マリメッコのデザインの力に、さらに幅を広げていくわけでした。
現在でも多くの人気を集めている、コットンキャンバスバッグの生産が始まったのもこの年代です。
それからは、マリメッコは、長年愛され、時代に左右されないバッグをどんどん生産していくことになるわけでした。
そうして、マリメッコの1970年代は順調に過ぎていくわけでした。
しかし、1979年、マリメッコを震撼とさせる出来事が起きます。
創設者のアルミ・ラティアが亡くなってしまいます。
そうしてマリメッコは、きたる1980年代に大きな岐路を待ち受けることになるわけでした。
マリメッコの1960年代
歴史とその色使いとデザインの斬新さに定評のあるマリメッコの歴史。
次はそのマリメッコ社の1960年代をちょっとのぞいてみましょう。
1960年代というのは、マリメッコ社にとって急速に国際化された年代といえました。
そのせいもあり、製造も高まり、多くの製品が出回り、世界的にもよく知られていくようになりました。
そのマリメッコの国際化に大きな影響を与えたのは、ご存知、ケネディ大統領夫人のジャクリーン・ケネディでした。
当時、大統領選挙が行われているときであり、多くの記者がケネディを追っていました。
するとそのうち、ジャクリーンがマリメッコの服を着ている姿やマリメッコのワンピースを1度に7着も購入したときなども新聞の見出しに載ってしまったりもするのでした。
そうして、世界でのケネディの注目と比例してマリメッコにも視線が注がれていくわけでした。
しかし、1960年代の終わりに経営が困難な状態に陥ってしまいます。
でも、1968年から1971年にかけての大規模な再構成により、その息を吹き返していくのでした。
つまり、1960年代はマリメッコにとって、浮き沈みを経験するものの、大きく名を知らしめた年代といえるでしょう。
マリメッコの歴史
ヴィリオ・ラティアは、1949年にマリメッコの前身となるオイルクロスとプリントファブリックを製造する「プリンテックス(Printex)社」を買収しました。
そして1951年に、後のマリメッコの創立者となる、ヴィリオの妻のアルミ・ラティアがプリンテックスに入社しました。
アルミは、友人のデザイナーに新しいテキスタイルのデザインを依頼しました。
そのデザインは、大胆な色使いと抽象的な表現のパターンのもので、それは、今までのテキスタイルプリントの伝統を覆すようなものでした。
そのモダンで斬新なデザインは、あまりにもインパクトが強く、人々の注目を浴びるようになりました。
しかし、その斬新さゆえに、社員はそれをどのように使って良いのか分からなかったほどだったそうです。
そこで社員達は、試行錯誤を重ね、新しいファブリックを生かすため、ファッションを中心とした小さなオリジナルのコレクションを創ることを考え出しました。
そこで、アルミは別会社を創立することを決意するわけでした。
そうしてマリメッコはできたわけでした。
今あるマリメッコの斬新なデザインたちのスタートは、こういった経緯にあったのでした。